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国家間経済格差問題 1960年代と現状の違い

2017年06月30日 09時55分35秒 | 国際経済
国家間経済格差問題 1960年代と現状の違い
 経済格差の問題は国家間でも当然存在し、時にいろいろな問題を引き起こします。
 あまり古い時代の問題は別として、戦後について見ていきますと、戦後巨大な経済力を持っていたのはアメリカです。 

  幸いなことに、当時のアメリカはほとんど無傷の経済大国として、寛容、寛大な国でした。戦争で荒廃したヨーロッパにはマーシャルプランでその復興を助けました。OECDの前身OEEC(欧州経済協力機構)はそれを契機に作られた組織です。
 アジアの占領地に対しては、ガリオア・エロア資金を供給、経済的復興と人材交流に多大な力を発揮しました。

 1960年代に入りますとこうした復興開発援助の動きは、復興した先進諸国が、解放された植民地を含む後進国・低開発国(当時の用語)を援助する形で進められることになります。
 OECDの下部機構として置かれたDAC(開発援助委員会)加盟の先進国、米・加・西ヨーロッパン諸国・日本などは、国連の低開発国援助計画に則り、政府ベース、民間ベースで多様な援助を行っています。

 急速な復興を成し遂げた日本も急速に援助額を増やし、1971年には60年に比べ8.7倍に援助額が増えています(欧米主要国は2~3倍)。
 国連は1960年代を「開発の10年」として、国連貿易開発会議(UNCTAD)を設立、成長の遅れる途上国援助を打ち出しています。

 UNCTADはGDPの1%を途上国援助にというスローガンを掲げたと記憶しますが。1970年代になると、アメリカのニクソンショック(ドルと金の兌換停止)を筆頭に、先進国経済が次第に健全性を失い、「先進国が後進国を援助する」といった構図は次第に影が薄くなったようです。

 しかしこうした取り組みの結果、後進国は経済成長の重要性に目覚め、後進国から発展途上国へ進化( 経済成長の原動力)していったのではないでしょうか。
 21世紀はアジアの世紀などと言われるのも、早期に経済発展の重要性に目覚めた国がアジアに多かったことの結果ではないかと思っています。

 顧みると、1960年代は、国連やOECDが国家間の経済格差に関心を持ち、ともに経済発展をすることが世界の平和・安定をもたらすと考えて一生懸命活動した時期だったのではないでしょうか。

 残念ながら、1970年代以降は、先進国も、自分自身の頭のハエを追うことにかまけて、他をおもんぱかる余裕がなくなったのでしょうか。
 この面から見ても、1960年代は、人類社会が、先進国中心に、格差縮小に一生懸命になった大変良い時代だったということが出来るのではないでしょうか。

<追記>
 現状では、新興国への援助は、先進国からの直接投資といった民間ベースが主流でしょう。勿論これも途上国の経済発展に貢献して来ました。政府にカネがなくても、先進国企業には資金がります。これは5S、カイゼンなど多くの産業人材育成のノーハウを持つ日本の得意技かもしれません。
 しかし直接投資は、時に途上国の低賃金を利用した先進国企業の収奪手段とみられる側面も持ちます。国連が児童労働の禁止、Dcent Workの順守などを強く言うのはその故です。格差縮小には、アダムスミス(道徳情操論)が言うように、倫理観が重要です。

 今、強力に援助活動をしているのは中国です、一帯一路構想、それを支えるAIIBなどはその象徴です。これが、資源獲得競争などを含め、中国を豊かにするためか、そうではなく、世界の国々の経済格差を縮小する共存共栄のためなのか、これは、これからの中国の行動が明らかにするでしょう。













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